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人類社会には、古代から、年賀の習慣があったようです。
エジプトやメソポタミアなど、いわゆる四大文明にも、新年を祝う宗教的儀式の痕跡が多く見られます。人類の生産形態が狩猟採取から農耕牧畜に移ると、種まきや刈取りなどの時期を知るため「暦」が誕生します。それぞれの文化圏で、天体の運行などから、1年は約365日であることが発見され、その1サイクルの区切りとなる日が定められます。その日に、前年の収穫を神に感謝し、新しい年の豊穣を祈ることは、きわめて自然な流れだったのでしょう。
日本に百済から中国式の暦が伝わったのは6世紀中頃、それが大和朝廷に正式に採用されるのは7世紀の初めです。漢字の伝来はそれより古く、紀元前後と考えられていますが、当初は木片に書かれるのが普通で、紙が比較的容易に手に入るようになるのは6世紀以降です。
その後、7世紀中盤の大化の改新によりさまざまな制度が整えられ、政治的な伝令書を届けるために畿内各所に駅馬を置く「飛駅使」制度が始まります。遠くの人との書状のやりとりが行われるようになるのは、これ以降と見ていいでしょう。ここで面白いのは、同じ年に、天皇が諸臣の賀を受ける「朝賀の式」が制度化されていることです。
それらから推察すると、日本で「年賀の書状」が取り交わされるのは、7世紀後半以降のことだと思われます。では、「日本で最初の年賀状」はいつ誰によって出されたのかといえば、残念ながら史料は残っておらず、正確なことはわかりません。
しかし、平安後期に藤原明衡によってまとめられた往来物(おうらいもの・手紙文例集)「雲州消息」には、年始の挨拶を含む文例が数編収められており、この頃には、少なくとも貴族階級の中には、離れた所にいる人への「年賀の書状」が広まっていたと考えられます。
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